特別寄稿

稲森亘航海日記

「稲森亘・航海日記」の著作権は「稲森亘」氏に帰属します

 

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 稲森亘航海日記

■1:新米通信士

■2:8千屯の貨物船

■3:新米局長

■4:ペナン島で・・

■5:パイロット・・

■6:太平洋の真ん中・

■7:父の死は

■8:ウミネコ売りと・

■9:マダカスカル島に

 

【マダカスカル島に到着して】

第九話 最終章

写真はここから見られます

写真左から、本船(冷凍船)、マダカスカル(マジュンガ沖)、10万トンタンカー、35年
ぐらい前の自分、シンガポール(35年くらい前)、シンガポール虎公園(同)、マダカスカ
ル(マジュンガ市内)
(当時、船員服は6万円位していて、もったいなくて買えなかった)
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  本船は、単調な航海を続け、やっと、アフリカ大陸の南東にある小さな島、マダカスカル島に到着した。そこには、「まるは」の現地駐在所があって、現地人と「まるは」の職員が仕事を
していた。現地人のほとんどは裸姿で、茶褐色に焼けた体を思い出す。決して体格は大きくない。ほぼ日本人と同じぐらいであったと記憶している。
到着後、直ぐにやった私の仕事は、現地(まるは)の駐在所訪問ではなかったかと記憶している。
その後、2隻、港に停泊した、冷蔵庫である8,000屯の船を訪問。話によると、この2隻の船は、自力でここまできたのでなくて、曳航されてきたとの事、停泊はしているが、航行不
能であり、「えび」の冷蔵庫として使っているとのことであった。

 無線室に案内されたが、モールス信号が、ものすごいスピード(ト、ツーでなくて、トロロツー)で日本の本社向けに電波を出している。私は、疑問に感じた。無線通信士の仕事は、航海
上であって、入港する前に無線局を封鎖しなければならない。いわゆる、港では、電波を発射してはいけないのである。国際電気通信条約(以前の呼び方、今は、どういう名称になって
いるのかは知らない)で明記されている事である。

 しかし、この船の無線局からは、ものすごいスピードでモールスを発信している。−−− 残念ながら、その答えは当時勤務していた無線士に聞いたのか聴かなかったのか、記憶が定か
でない。私の、脳裏に今でもそのモールス信号の音が鮮明に聞えてくる。

 記憶が、明確に残っているのは、
「すごいスピードでモールスを送っているのですね」
相手:
「はい、これは、テープにモールスを録音して、そのテープの速さを3倍以上にして送信しています。内容的には、「えび」に関しての冷凍及び、乗組員などの現地の情報を日本の本社に
送っているのです」

というようなものであったと思う。1日に数回、定時に送っているとも聴いた。局長はじめ、次席の2人で無線を担当しているとの事であったと思う。当時は、3人の通信士が定員で
あった。しかし、えび冷凍船は8,000屯の大きさで、側に近づくとビルのような大きさではあるが、電波法上は、港に固定された船であり、単なる冷蔵庫でしかない。

 それなのに、定員ちかくの無線通信士の数を使っているのは、恐らく、仕事量の多さからではないだろうか?(そんな気持ちで聴いていた)

 彼らも、足は不自由である。日本の駐在所がある陸に行くには、やはり小船を使わなければならない。定時(一日に数回)にサンパン(巡回する小船)が往復するとのことで、この船を
使っての上陸しか、陸に上がる方法は無いとの事であった。

 話を戻すが、テープで送信された、マダカスカルの情報は、日本の本社で録音し、それを元のモールスのスピードに戻して聴くとのことであった。仕事量のすごさは、我々航海を仕事として
いる無線通信士にとっては、殺される程の仕事量であったと思う。

 2泊ぐらいしただろうか?本船は出航が近づいた。交代要員(日本に帰る船員)を乗せ、帰国の準備に入ったが、私が、驚いた事は、船上で、木枠の箱詰めが個人的に始まり、その
中身は「紫水晶」の原石(大きいものは、大人の両手で円を描いた位)のものである。私は、それらに見とれていた。

 すると、同僚仲間が、
「局長、今から、原石の山に行こうと思うが、ついてくる?」
と誘ってくれた。

 ついていくと、裸の山、火山のように、木々は殆ど生えていない。それに、あちらこちらに「むしろ」で造った小屋が建っている。その小屋の中には、紫水晶の原石がごろゴロところがって
いた。山は国の山だと言う。(でも、商人(?ここでは、明記をよそう。:声をかけられてついていった私は全く彼らの素性は分からない。きっと免許を受けて商売しているのだろう・・・)

 私の手で丸い円を描く位の大きさの紫水晶の値段は当時で1万円だったと思う。私は、あまり興味が無いので、小さい石の半分に切った紫水晶の原石を買ってきた。これは、現在
何処へ行ったか覚えていない。

 以上の紫水晶についての記述は、既に40年も前のことであり、どこまで記憶が正確かわからない。場合によっては、記憶の全てが間違っているかもしれない・・・。マダカスカル島は
当時、フランス領であり、フランス語が公用語であったと思う。

 こうして、500トンの冷凍運搬船にのり、清水ーシンガポールーペナン島ーマダカスカル島、と航海してきた本船は、最終地、マダカスカル島で冷凍えびを積んで、日本に向けて
出港する事になった。本船は、次の航海は、カナダに野菜を運ぶ(或いはカナダから野菜を持ってくる)航海になるそうだということを聞いて、私は、この会社を退職する事になる。

 - END -

 長い間、お読みいただき、有難う御座いました。遠く昔の思い出を少しづつ思い出しながら、長谷川さんのHPのメモリー容量を減らし、いつの間にか、
長谷川さんの好意に甘え、HPのメインに置いていただきました。有難うございます。

 今後の、長谷川さんのHPが更に発展し、たくさんの方々がご訪問される事を期待いたします