特別寄稿

稲森亘航海日記

「稲森亘・航海日記」の著作権は「稲森亘」氏に帰属します

 

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 稲森亘航海日記

■1:新米通信士

■2:8千屯の貨物船

■3:新米局長

■4:ペナン島で・・

■5:パイロット・・

■6:太平洋の真ん中・

■7:父の死は

■8:ウミネコ売りと・

■9:マダカスカル島に

 

 【稲森亘・航海日記・冷凍貨物船の新米局長】

第三話


白い粉のふく船員手帳を開いてみると、そこには、学生服姿の若かりし頃の自分があった。 船員手帳に記されている内容は、船名:第28大遠丸 総トン数:998屯、主機の種類:デイゼル1,500馬力、職務:通身長、雇入期間:不定それに、雇入年月日及び雇入港:昭和45年2月5日、清水港とある。これは、初めて、通信長として、不定期冷凍運搬船の航海記である。

清水港出航した本船は、一路マダカスカル島に向けて航行する。日本の島々が見えるのは、ほぼ2日間だったろうか、右を見ても、左を見ても、そして、360度見渡しても、広い水平線だけが視界に入る。行きかう船舶するすら見当たらない。こんな時、とても陸地が恋しくなる。

清水港を出発してから4日は経っただろうか?海が荒れだした。本船は、木の葉のように揺れる。バシー海峡、何時も荒れている海域だ。何十年も経た今、日本を出発してこの荒れ狂う海峡に出会うまでの日数は記憶に定かでない。考えてみれば、この海峡はタンカーなどに乗船している時も通過しているのに、私の記憶からはすでに色あせた思い出となっていた。

ほぼ1日がかりでこの海峡を通過したのだろうか?向かい風が強くなかなか前に進めないような気がした。(会社には何の連絡も取っていない。引継ぎのとき、そのような伝達事項もあったような気もしない。だから、毎日、無線室で、勤務時間は、ボートしていた。(もう、この時、オートアラームが設置されていたのか、0−4ワッチだったかも記憶にない。話は飛んでしまうが(0−4ワッチ:午前0時から午前4時まで、4−8時:4時から8時まで、8−12時:8時から12時まで、4時間づつ1日午前、午後と2回の勤務形態であり、(1通士:0−4時、2通士:8−12時、(三通士):4−8ワッチとなる)

3席(3通士)は、勤務時間帯が一番きつい、4時から8時までのワッチでは、Faxが無かった頃は、局長、次席、3席とモールスでの新聞電報を傍受する。そして、これは、モールス符号で送信されてくるから、わら半紙に局長、次席は、直接、平文の漢字、カタカナ交じりで原稿を書き上げる。つまり、モールスの受信が終わる時には、わら半紙は、このBBSのように、漢字交じりの普通文で書きあがっているのである。

3席というと、同じように、自分に割り当てられた部分をモールスで受信し、(当然カタカナ受信である)それを漢字とひらがなに直し、更には、鉄筆を使って油紙にそれぞれが受信した新聞電報をB4の大きさの新聞紙として、書き上げ、ガリ版をする。

これが、3通士に与えられた朝の4時から8時までの仕事であった。そして、サロンルームと一般船員(食堂)に配信する。

船での生活は単調である。そして、狭い箱の中での集団生活であるから、当然にお互いを尊重しあい。気を配っているので、乗組員が日本人の場合は事件はあまり起こらない。しかし、船員が
外国人と日本人の混合の場合、当時でも刃傷沙汰はあった。

だけと、こと新聞に関してだけは、別である。船長、チョッサ(1等航海士だと思った:勤務は8時ー12時)、機関長、局長が朝食を取る時には、最新の新聞のガリ版がサロンに置かれていなければならない。

3通士はガリ版刷りのあの、紺色のインクで顔や服を汚しながら、当然、手は、真っ黒にしながらの作業であるが・・・。

しかし、冷たい者である。3通士が汗だくになって作成した今朝の新聞は、あちらこちらに、赤の鉛筆で線が引いてある。−−− しかし、誰一人として、その事には、触れない。だから、余計に不気味なのである。

赤色鉛筆でマークされた文字といえば、誤字、当て字である。私が乗った冷凍運搬船の時期には、外航船舶には、ファックスが常備されていたので、気象通報や新聞通報はファックス受信していたので、この経験は昔となってしまったが、・・・

手書き新聞で、我々通信士が取ったやり方は、モールスで送られてくる新聞内容を出来るだけ多く受信することであった。これは、電波の受信状態が悪い場合の予備として貯金しておく為であった。・・・という事は、毎日更新されるガリ版新聞は、時には、古い内容の物であったが、航海中は海の上、みんな、新しい新聞として読んでいた。

さて、話は別なところに行ってしまったが、ともかくも、私は、本船の動向も本社に社船連絡を取る事も無く、ノンビリト航海していたのである。

当時は、のんびりしたもので、会社からも何の連絡も無く、本船はマダカスカルの方向に航行していた。

無線通信士の仕事は、船の航海安全の通信を受け持つのであるから、当然、国際遭難周波数であり呼び出し周波数にも使われている500KHzの受信は、勤務時間中はこの周波数で、勤務外はオートアラームで受信していなければならない。

あれは、シンガポールの海岸局の中波周波数を(500KHz)を受信していたときのことであった。電報が日本から送信されるとは、考えてもいなかった私は(本当に電報が来る事を意識していなかった)恐らく、1〜2日は、聞き逃していたのだろうと思う。

けたたましく、本船を呼んでいるシンガポールの中波海岸局に気が付いた。正しく、本船、私を呼んでいるではないか、それもバリバリと受信機に入ってくる ----