【稲森亘・航海日記 はく製のウミネコ売りと遊ぶ・・・ 】
第八話
ペナン港を出航して、洋上で韓国鮪船との商売も終わり、父の死と向き合った一日も終わり、本船は、何も無かったように、島はおろか、他船一隻も見ることなく、ただ単調な航海は続く、それでもマダカスカル島は少しずつ近づいているのだろう。期待をしている洋上漂泊もなく・・・。
船が小さいと、人員の関係か、それとも技術的な関係か、本船は、私の航海中、一度もトラブルが無かった。きっと、本国に帰国している間に、考えられる全てのトラブル対して対処しているのだろう。航海中、チョッサー(1等航海士)が走る船から身を乗り出し、赤さびた所に白いペンキを塗っていた。大きな船に乗った経験があるが、本船のチョッサーのように航海中、海に身を乗り出して、
航行する船のさび止めをしているのを見た経験は、本船以外には無かった。私は、案外、こういうのが好きなのかもしれない。どちらかと言うと、船長、機関長などとは、あまり話をしなかった。
年齢がかけ離れているせいもあるのかもしれないが、シチョウジ(司厨長)や甲板員などの職業の人とは直ぐに仲良くなったが、いわゆる、高級船員とは、通り一遍の付き合いしか思い出が無い。
これは、そんな仲間のシチョウジとの他愛の無い悪ふざけの物語である。
−−−それは、本船が、シンガポール港から離れた場所に停泊していた時であった。(最も、本線は、シンガポール港では、岸壁づけは無かったが・・・)停泊している外国船の空間を蛇行しながら多くの物売り小船が行きかう。そして、乗組員を下から、大きな声で甲板に呼び出す。我々船員も、サンパン(代理店が準備した上陸用の小船)が迎にくるまでは、船上で待っていなければならない。その船も頻繁に来るわけではない。午前と午後の合計2回、沖に泊まっている外国船間を往復するだけであるから、待ち時間は相当に長い。
そんな時、この物売りの小船は、暇つぶしに、格好の獲物である。我々、退屈した船員にとっては、・・・
彼らも、まがい物を高く売りつける。シチョウジと私の関係は、カジキの刺身がきっかけだった。私は、無類の刺身好きである。ある日も何時ものように、ボーとして、甲板で海を眺めていたところにシチョウジが近づいてきた。
「局長、カジキの美味しいのがある。食べる?」
私:
「うん!刺身が大好きなんですよ」
シチョウジ:
「それでは、美味しいカジキを食べさせてあげる」
そこは、賄いの長である。食材に関しては、自由になる。そんな関係で、シチョウジと私は、急接近した。カジキまぐろ(あの、鼻がとてつもなく長くって、剣のように尖がっている魚)は、オスが美味しかったのだろうか?確か、シチョウジはカジキのオスが(とてもうまい)と言っていたような記憶があるが、そのところは遠い昔、私の脳にからはすでに消え去っている。
このシチョウジは、本船の人ではなく、マダカスカルに停泊する8,000屯の冷凍船の司厨長として向こう3年間マダカスカルで勤務する人であったが、本船の往航のシチョウジとして乗船していた。物売りの声に、何時の間にか本船の乗組員の何人かは甲板に出ていた。
私の隣に寄ってきた、シチョウジ、曰く、
「局長!、俺、あの小船に飛び移るから、局長は、前から、気を引いて、大声で、あれ見せろ、これ見せろとどなってくれ、俺は、その間にトモのほうから、ウミネコを放り上げるから・・・」
「よっしゃ!」
シチョウジは身軽に小船に乗り移り、2人いる小船の売人の1人をひきつけ始めた。そうしたら、本船の乗り組員の他の1人がもう1人の売人をひきつけ始めた。シチョウジが、私に合図を送るので私は、シチョウジが相手にしていた売人をへさきの方に引きつけ始めた。
小船には2人しか乗っていない。こちらは、小船に乗り移ったシチョウジと私、それにもう1人加わって3人である。どうしても小船の方が、1人相手が足りなくなる。算数の計算そのものである。
シチョウジがあまった。彼は、2人に気づかれないように、ウミネコを2匹、本線に放り上げると、本船に戻ってきた。
私達、本船の2人は小船の売人2人と、「あれを見せろ、これを見せろと」わめきたてている。シチョウジが本船に戻ったことを確認した私達2人は、「もう、いらないよ!何にも買わない」
と売人に知らせる。売人は、怒って本船から小船を放し、船外機のエンジンをかけて遠のいていった。
我々は、山猫2ひきのはく製を手にした。しかし、シチョウジは、山猫を自分のものにするのでなく、私と、もう1人に渡してくれた。私は、その山猫を、マダカスカル島で購入した、紫水晶の石の半分(相当に大きな物でした)とともに、姉兄へのお土産にした。恐らく、山猫は、ガラスのケースに入れられて、姉兄の家の床の間にいると思う。
我々の些細ないたずら、きっと、この文章をお読みになった方の中には「憤慨」される方もおられると思う。しかし、シチョウジはこんな事も私に言った。
それは、シャッターは切れるのであるが、壊れたカメラを私が持っていた。シチョウジは、「このカメラを使って、小船の売人と物々交換をしよう」と提案した。私は、「いやだ!」と言って、結局は物々交換の提案は成立しなかったのであるが、シチョウジ曰く、
「局長、やつら、人をだましているんだよ!だからいいんだよ」
この短い私への抗議の言葉にたくさん意味が込められている。その事を、知るのは、私がズート後になってのことである。商売をしている外国人にどれだけ痛い目にあう日本人の多い事か、そんな現実を目の当たりにするのは、船員生活を終えた私が、海外の専門家として赴任したときから始まった。(注:殆どの外国人はいい人です。問題な外国人は少数である事を明記します)
シチョウジの料理は、小さい商船でありながら、天下一品の味を出していたし、品のある料理であった。最も、全く動かない大型商船の冷凍庫として停泊を続ける船舶の賄いを仕事とするのだから食べる物しか楽しみがない船員にとっては、神様みたいな司厨長であるべきであり、選ばれてマダカスカルに向かうのであるから並大抵な料理人でないことは確かであった。
今は、若き頃の、羽目をはずした悪戯が懐かしい。そして、せめても救われるのは、まっとうな人でない人をだました事、だます事は、悪い事に決まっている!。だけど、だまされ続けた、シチョウジのせめてもの、彼らに対する「むくい」の一撃であったのかも知れない。
そして、その片棒を担いだ私も、自分を全く責める気持ちは、あれから30年以上も経った今も無い。今頃、彼はどうしているのだろうか?年齢的には私とそんなに違わなかったと思うが・・・。
次回(最終回):マダカスカル島にて・・・
−−− 私の、つたない文章と人生の経験を最後までお付き合いくださっている皆様に感謝申し上げます。 −−−